メディチ家のランブルスコワインへの情熱から学べ!

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みなさんは、ランブルスコワインを知っていますか?

赤ワインなのに発泡酒という、イタリア生まれのちょっと珍しめのスパークリングワインです。

日本でもバブル期の80年代ころに知られ、安めのシャンパン代わりとして若者を中心に飲まれていました。

そう聞くと「若者向け」で「ガブ飲み」のイメージがあるかもしれません。

実際ワイン好きの人の多くにも「安物の甘口ワイン」として、あまり重要視されていませんでした。

しかしここ数年、「高級発泡酒」として以前とは違うイメージで人気が盛り返しています。

そのわけをお話ししましょう。

以前は安ワインの代名詞だったランブルスコ

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イタリアで歴史の長い発泡酒

ランブルスコの歴史は古く、古代ローマ時代にさかのぼると言われています。

当時から栽培されていたランブルスコ種は60種類以上も存在しており、多収穫種としても有名です。

香りは少し独特ですが、フレッシュなベリー系。

味は軽やかでフルーティ、やわらかく繊細な泡立ちが特長で、日本人や女性にも受け入れられやすい味です。

日本では「甘口(ドルチェ)」として、若者や女性向けとしてのイメージが大きいですよね。

10年ほど前までは国内向けは辛口、輸出ものは甘口と分けられていたのです。

伝統的なランブルスコは、むしろ「辛口」なのですね。

本場では甘口よりも、辛口!なわけ

イタリア北部にあるエミリア・ロマーニャ州は、ポー河と広大なパダノ平野を擁します。

古くから農業や酪農、畜産が盛んで、ハムやソーセージなどの加工肉食品、チーズ等がとても多く生産されることで有名です。

チーズの王者とも呼ばれる「パルメジャーノ・レッジャーノ」、パルマの生ハムやソーセージは世界的にも高い評価を得ています。

他にも濃厚なソースを使用したラザニアやボロネーゼ(ミートソース)など、肉類やチーズやバターを豊富に使った脂質の多い料理が特長です。

そんな脂分の多い肉料理たちに合うのが、爽やかな口あたりで口の脂をスッキリ落とし、肉を引き立てる辛口ランブルスコというわけなのです。

ですので本場イタリアでは、辛口のランブルスコがポピュラーです。

「安物の酒」というイメージだった

料理との相性が良いだけに、イタリアでは多く消費されています。

度数もそれほど高くないランブルスコは、昼食のお供に「水代わり」として大量に飲まれています。

そんな大量消費するランブルスコは、日本円にして一本300〜400円程度で手に入ります。

海外にも広く輸出され、特に80年代にはアメリカでブームとなりました。

炭酸で甘口、安価なことから「イタリアン・コーク」「レッド・コーク」と呼ばれ若者を中心に大流行。

世代をこえたメディチ家のランブルスコへの情熱!

ひと昔前とは品質も変わった!

そんな「安物ワイン」「ガブ飲みワイン」…といったイメージのランブルスコ。

ところが今、日本では「口当たりのいい高級発泡ワイン」として、女性を中心に質の良いお酒として人気です。

実際「ランブルスコ」とネットで検索してみても、フレンチやイタリアンが好きで、ある程度料理にこだわりのある女性のブログ記事が多くヒットします。

以前のランブルスコは味も色も、水のようにスイスイ飲め、向こう側が透けて見えるほど「薄い」ものでした。

ブランドイメージだけでなく、品質もひと昔前とは驚くほど変わったと言われる影には、イタリアを代表する旧家の、世代を超えた挑戦がありました。

メディチ家の末裔が作ったワイナリー

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中世期、イタリアだけでなくヨーロッパでも有数の大富豪だったメディチ家。

当時、政治権力のほとんどを貴族出身が占めていた中、はじめて平民出身としてのし上がったメディチ家は、庶民たちに愛されました。

フィレンツェを中心として栄え、ルネサンス文化の保護者としての側面も有名です。

5世紀にも渡るメディチ家の歴史の中、一族はイタリアの各地に散らばります。

その中である者はエミリア・ロマーニャ州に移り住み、統治を行いました。

それが今ではロマーニャの著名なワイナリーである「メディチ・エルデーテ」の祖です。

20世紀初頭、ロマーニャのメディチ家末裔、レミジオ・メディチはフィレンツェで小さなワイン工場と、レストラン、宿屋を経営していました。

子どもたちが成人した時、彼らが誇れる仕事ができるようにと、1911年、レミジオは思い切って先祖からの土地を売り払い、大きなワイナリーを設立したのです。

それが「メディチ・エルデーテ」です。

レミジオが48歳の時でした。

当時市場での販売の主流は、瓶に詰めた「ボトルワイン」ではなく150リットルほどの樽に詰めて小売や店に売る「バルクワイン」が主流でした。

バルクワインで事業を広げながらも、レミジオは地元の名産であるランブルスコの「ボトルワイン」の生産、販売を夢みていました。

しかし、当時はワインを瓶詰めにする習慣がほとんどなく、また技術も低くボトルワインを作るのに費用がかかり高価なものになってしまいました。

市場に求められず、受け入れなかったのです。

しかし、この夢は100年の時を経て、子孫に受け継がれるのです。

・世代を超えて実現した「誇りあるランブルスコ」

第二次大戦後、ボトルワインの市場は急速に広がり、メディチ・エルデーテも数々のワインを送り出してきました。

70年代、イタリアに政情不安や石油危機から不景気の嵐が吹きます。

伝統的な名産として誇りを持ってきたイタリアワインも、国外向けにウケるよう、製造を変更して売る必要がありました。

地酒として親しまれてきたランブルスコも、輸出用としての路線変更が行なわれました。

それが甘口のランブルスコの大量生産です。

この計画は当たり、特にドイツやベルギー、そしてアメリカを中心にとてもよく売れました。

しかし代償は大きく、ランブルスコといえば、安い甘口ワインというレッテルがついてしまいました。

そしてメディチ・エルデーテも、この普及計画の初期に大きく噛んでいたのです。

4代目のアルベルトになった時、彼は初代が愛し、そして普及を夢みたランブルスコを、誇りあるものに戻したいと考えました。

ランブルスコは一般的には、様々なランブルスコ種をごっちゃにして造ります。

しかし彼は、ランブルスコ・サラミー種100%のみで製造することにしました。

そして良質なぶどうのみを厳選するため、収穫量を今までの3〜40%も落としたのです。

その甲斐あって、2002年にはもっとも著名なイタリアワインの評価本である「ガンブレッソ」にて、ランブルスコ部門で1位、2位を独占。

2008年には、同誌でランブルスコ史上初の、最高賞「トレビッキエーリ」を受賞。

その後7年連続で同賞を獲得し続けています。

今、ランブルスコと言っても「庶民が水代わりに飲めるもの」から特別な日に開ける高価なものと、様々な多様性を持つものとなりました。

甘口、やや甘口、やや辛口から辛口と様々な種類があることも、世界中の多くの人が知っています。

そしてメディチ・エッルデーテのランブルスコといえば、ラベルを見るとワイン好きなら誰もが知っているものになりました。

ランブルスコのような男になれればヤレる

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平民出身でありながら、ルネサンス文化の保護者となるほどに栄華を極めたイタリアの名家、メディチ家。

そんな彼らの挑戦を忘れない、18世紀で一旦途絶えたかのように見え、しかし脈々と受け継がれてきたのです。

庶民が気軽に愛飲してきた歴史のあるランブルスコですが、現在では同時に発泡酒屈指の名酒として揺るがぬ地位も確立しました。

あなたもヤリたい女のハートの中で、気軽に話せる相手ながらも、思い切るところでは思い切るメディチ・エステートのような確固とした存在になってみましょう。

口当たりのよいランブルスコを二人で開けながら。